前回の記事の続きです。
さて静岡市中心部からバスを乗り継ぎ,3時間近くかけて井川までやってきました。ここからはいよいよ井川線を「乗り鉄」。今回は一日どっぷり井川線の時間にあてたので乗り残していた接阻峡温泉~井川間を中心に,途中のいわゆる「秘境駅」も巡っていきます。
井川駅
井川駅に着いた頃には井川線の一番列車が井川に到着していて,金谷側から列車で来た観光客でいっぱいでした。この日は土砂崩れのため不通になっていた接阻峡温泉~井川間の復旧から1週間ということもありいつもより入り込みが多そうな感じです。
井川駅には出札窓口があり,大井川鐵道各駅へのきっぷのほか,金谷接続東海道本線(東京~岐阜間)の連絡乗車券が発売されています。ICカードの普及とともに連絡乗車券の設定はどの会社線でも縮小傾向にあるようですが,大井川鐵道では未だに遠距離となる連絡乗車券を発売しています。
この窓口で最遠・最高額となる東京都区内までの乗車券をお願いしました。同じ大井川鐵道の千頭駅などでは東京都区内までの乗車券を硬券で発売していますが,井川では手書きの「補充片道乗車券」の様式で発売されています。
このきっぷを片手に井川線列車に乗車します。
井川線はほかの地方鉄道とは大きく異なる特徴がいくつかあります。まず一つは日本では数少ない,全列車が客車の列車。井川線を除くと国内には黒部峡谷鉄道や嵯峨野観光鉄道などの例しかありません。そして二つ目は車両限界の狭さ。この写真だけ見ると大きそうな列車にも見えますが…
車内はこんな感じ。ダム資材輸送のための専用鉄道として開通した出自から,車両限界はかなり小さく,客車内はかなりきつきつ。まさにトロッコという単語がそのまま当てはまるような列車です。そして3つ目は途中のアプトいちしろ~長島ダム間で急勾配を登り降りするためにアプト式を採用していること。さらにわずかながら現役で貨物輸送が行われていることなど…挙げればキリがないくらい井川線は非常にユニークな路線です。
なお,井川線内での途中下車の取扱いですが,片道乗車券を持っていれば各駅で途中下車できるようになったそうです*1。今回は東京までの乗車券で営業キロが100km以上となり途中下車の要件は既に満たしていましたが,通常の乗車券でも途中下車が井川線内で可能なようです。もっとも,井川線に乗る人はほとんどフリーきっぷ利用なのでしょうが。
閑蔵駅
井川の次の駅,閑蔵。周囲を針葉樹林に囲まれた静かな駅です。閑蔵の駅前には数軒の住宅があるのみ*2で,この駅もいわゆる秘境駅の一つです。
閑蔵までは2車線の道路が整備されていて,大井川鉄道の路線バス閑蔵線が駅前まで乗り入れています。このバスを利用して「千頭から尾盛は列車,帰りはバス」(またはその逆)といった利用も可能です。ちなみに,尾盛以南は道路の整備がかなり進んでいますので,バスに乗ると尾根をブチ抜いてきれいに整備された道路と,旧態依然として崖を這いつくばって進む井川線との格差を身に沁みて思い知らされることになります。。
その道路を少し南に進むと大井川にかかる「新接阻大橋」を渡ります。侵食が進んだ接阻峡にかかる橋で,地形図読みで川床からの高低差が80mほどありそうです。川床からの高さが70.8mで日本で一番高い鉄橋である井川線の関の沢橋梁もここから少し下流の大井川支流に架かっています。
高いところが苦手な私はとても身を乗り出して川底を覗くことはできませんでしたが,橋から見えた急峻な大井川の流れと尾根部分にある茶畑という大井川らしい光景になんとなく和みました。
尾盛駅
閑蔵の次の駅は尾盛駅。こちらは秘境駅マニアの人には有名な駅で,周囲に人家が無いどころか駅にアプローチする道すらなく,列車でしか訪問できない駅となっています。周囲の森林は深くクマなども出るとかで,一度降りればクマの襲来に怯えながら(?)次の列車を待つしか無く,存在意義が無いどころか危険な場所ですらあるのですが,電力開発での補償によって開設された経緯があり廃止を免れているそうです(wikipedia情報)。
尾盛には立派なホームと小屋がありますが,こちらのホームは使わず,しかも駅舎っぽいのは(クマ対策で一般向けにも開放された)保線小屋なんだそうです。
本物のホームは木材で囲われたこの線路右の空間。ホームというか路面電車の安全地帯に近い。列車を降りてどこか散策しようにも,駅舎もどきの保線小屋に行こうとしても「線路なう」は避けられません。なんだろう,このズレた感じ…。ここ尾盛では,「駅」の常識は通用しません。
駅付近の地形は大井川の穿入蛇行による旧河道にあり,平坦ではありますが,周囲は尾根があるか大井川本流に下っていくだけで,まさに外界から閉じられた空間になっています。この地形が尾盛駅への絶望的なまでの到達性の悪さの要因になっています。
かつて尾盛駅の周囲には林業関係の集落があったそうです。今は家屋の土台が残るか廃墟が残るのみで,かつての駅の繁栄?を偲ぶことはできませんが,急峻な地形である大井川沿いで貴重な平坦地であった尾盛駅周辺が集落を形成するに然るべき場所であったことは想像できます。
先述したような地形的な条件から駅から行動できる範囲は限られていますので,次の列車までの待ち時間の間はランチで持参した弁当をホームで食べた以外はひたすら周辺の廃墟探索に徹しました。ちなみに大井川の対岸に接阻峡温泉の集落があるせいか,docomoの携帯回線は微弱ながら入ります。
次の列車に乗って尾盛駅を後にしました。尾盛駅が自分の「駅」という概念を崩したのは言うまでもありません。
おまけ
井川駅で買った東京ゆきのきっぷでそのまま静岡から新幹線に乗り東京まで戻りました。補片で乗る新幹線という非日常感(?)を楽しみながらの帰宅です。